米国国家安全保障局(NSA)元職員のエドワード・スノーデン氏が、アメリカ合衆国や全世界に対するNSAの盗聴の実態と手口を内部告発したことは記憶に新しいことです。
インターネットのネットワーク自体が、そのような情報収集が可能な形態になっていることも考慮に入れなければならないと思います。
今回の記事は近未来の情報管理社会を描いたSF小説「虐殺機関」の紹介です。
本の概要
タイトル:虐殺機関
作者:伊藤 計劃(いとう けいかく) 1974~2009
世界観
サラエボが核爆発によってクレーターとなった世界。
後進国で内戦と民族衝突、虐殺の嵐が吹き荒れる中、先進諸国は厳格な管理体制を構築しテロの脅威に対抗していた。
内容へのコメント
2007年発行。近未来の行きすぎた情報管理化社会によって苦しめられる人々を描いた本です。メインストーリーは主人公がある人物を追いかける物語となっています。
行きすぎた情報管理社会、それを当たり前に受け入れる主人公と、それを受け入れずにある目的のために動く人々の対比が現代社会を風刺しているのではないでしょうか。
この文章は秀逸です。
こうして幾つもの認証をくぐるのは、その結果だ。ぼくらは自分の存在を分刻みで証明し通知することで、日々の安全を得ている。政府による市民の監視。プライヴァシーの侵害。そういう言葉で不自由を叫ぶ人もいるにはいるが、ぼくを含めて、ごくごく普通の人々は、認証を通りすぎるたびに自分がより安全な場所へと近づいているような感覚を日々体験しているはずだ。
もちろん、それは妄想にすぎない。それら一つ一つは通過点でしかなく、どんなに認証を通過したとて、その行動自体はある場所からある場所への移動にすぎない。それでもほとんどの人は不平不満を言うこともなく、日々認証の森を通過し続ける。
この認証の果てに、無限に安全な場所があるとでもいうように。
安全にするために政府はそのネットワークを構築し、市民は安全であるためにそのネットワークを利用します。ただし、「本当の安全はそこにあるのか?」という哲学的な命題は無視されていくのでした。
一方、現実社会も情報化が進むことによって便利な世の中となってきました。パソコン、ケータイ、スマートフォンと時代が進歩し、多くの人に情報社会の恩恵が与えられるようになってきました。
しかし、現代社会にもプラスとマイナスの面があります。ですが、そのマイナス面は非常に見えにくくなっています。今回の米・英の通信傍受も顕在化したマイナス面の一つと考えられます。
ルツィアが発言している「人はみずから自由を捨てることができる」という言葉は重要なキーワードでしょう。
人が自由だというのは、みずから選んで自由を捨てることができるからなの。自分のために、誰かのために、してはいけないこと、しなければならないことを選べるからなのよ
私はまだ若輩者ですがこの言葉の意訳、「本当にこれでいいのか考えなさい」は生きることにおいて重要な命題だと考えています。私はこの本でいろいろ考えさせられました。
また、認証は1つで見れば安全かもしれません。
認証がこれだけ街のあちこちにあり、通過地点が逐一記録されるようになっていても、そうしたリスクを考えない自殺的、無計画的、突発的な犯罪は一向に減る傾向がない。情報管理社会は計画的犯罪に対する抑止力にはなっても、そうしたある種、追い詰められた者の犯罪を予防する力は全くない。
「無限の認証というシステムに絶望した人々に対する有効な手立てはない」という大きな命題です。
ネットワーク社会、ソーシャル化社会などと言われる現代社会では、それは当たり前のように受けられています。私は懐疑的ですが。
SFとしても面白い本ですので、是非読んでみてください!